今回選手日記を担当させていただきます。3年生の滑石蓮二です。
私が3年生になって経験し感じたことを最初から振り返り書きたいと思います。
まず、新チームでスタートし最初の大会は新人戦でした。新人戦では最後の何分かで途中出場をしたりとチャンスを貰っていた。
私は今年の目標があり、
その目標は
「ピッチの中で駆け回り自分のためにもチームのためにも走れる選手になる」ということだ。
練習の中でも人よりスプリントを多くしたりと意識をしていた。
新人戦の結果は準優勝
準優勝になり九州大会に出場する切符を手に入れた。九州大会に近づくにつれ私は日々の練習で目標を意識して練習していた。
そして、九州大会約1週間前
私はインフルエンザに感染した。
九州大会1日前には復帰し、練習に入った。1週間も寝ていたことにより体力も落ちコンディションも優れていなかった。
だが、なんとか九州大会までに治そうと必死だった。
とても大切な時期にインフルエンザに感染して、
私はサッカー選手として二流、三流だととても実感した。
そして、九州大会が始まり九州大会では試合を重ねコンディションも少しずつ戻っていた。それから、九州大会終わるにつれて次のインターハイ、選手権に向け、走りのトレーニングや体幹トレーニング、筋トレをしていた。
だが、私はトレーニング中に腰の痛みを感じ始めた。
それから、九州大会が終わりインターハイや選手権に向け練習が始まった。私は、腰の痛みを少しかかえながらも練習をしていた。
私は最初、「このくらいの痛みなら」 「インターハイに出るために」という気持ちもあり練習を続けていた。日々の練習で腰の痛みが少しずつ増し沖縄招待の大会が始まっても我慢し続けサッカーをしていた。
たが、沖縄招待で限界を迎えた。
私が前回の選手日記に書いてたように
結果は「腰椎分離症」だった。
腰椎分離症を治すために治療や体幹トレーニングに専念していた。
だが、治りが遅くインターハイには間に合わず
サッカーすることも出来なかった。
インターハイが終わり、若葉サッカー部は全国大会に出場した。私は腰の痛みも取れ、全国大会の時の練習ではサポートもしつつ少しずつ練習に入った。
その時に感じたことは、
周りとすごく大きな差が離れていたということだった。
私は体力もなく技術も衰えていた。
そして、今では差を埋めるのにとても大変で復帰する時に強くなって帰って来れなかったことにとても悔いが残っている。
私は高校生活最後の1年間を自分自身の体調管理不足でとても無駄にしたが、逆にこういう経験をすることも自分のためだと思っている。怪我をした時の自分との向き合い方の意識が変わったり、体調不良にならないための予防だったりと意識がとても変わった。
私は、怪我をしたり、体調不良になり意識が変わったが、それではとても遅い。だから、怪我をする前に、怪我をしないためのストレッチ、アイシングを入念にすることが大切だ。
このような経験をしたからこそ色々な人に伝えたいと思い選手日記に書かせていただきました。
高校生活最後の1年間の半分を怪我などで無駄にして選手層の中でもとても差が離され、とても悔しいですが、この経験をもとに選手権に向けて日々の練習で意識をし励みたいと思う。
選手権では、若葉サッカー部が掲げている
「選手権、初出場、初優勝」
この目標を実現できるよう若葉サッカー部全員で頑張るので応援していただけると幸いです。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
滑石 蓮二 (なめいし れんじ)
Uー12所属 : 鯰田FC
U-15所属 : 川崎FC
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